Vol.01 / 2021.11.17

月に1回、いではくのお気に入りの飲み屋さんへ行って、軽く酒とつまみをやりながらテーマに沿った話をする「酒と話」。第1回目は荻窪にある飲み屋さん「寄港地」にて『大学時代から作詞家になる決心をするまで』の話です!

大学時代

 大学生といっても山岳会*にいたから山でほとんど生活していた。夏は2ヶ月間、黒百合ヒュッテ*でアルバイトを毎年していたし、そのほか冬山もやってたから年間200日くらいは山にいた。学校に行けば授業に出るより麻雀屋にいる方が多かったし、まぁロクな学生じゃなかった。ほとんど勉強してないしね。本当は将来新聞記者になりたいと思って早稲田に入学したけど、結局在学中に新聞社に受かるような勉強は全然しなかったし、もう3、4年生の時には無理だなぁって思ってた。

1杯目は生中(490円)。キンキンに冷やしたジョッキで出してくれます。

就職

 山やってた仲間たちと「卒業して社会人になっても山は続けていこう」とは話してたんで、将来的には冒険家みたいなものになってヒマラヤとかランドクルーザーみたいな車を買ってアジアから陸路でアフリカへ行ってキリマンジャロを登りたいみたいな話をしてた。だからとりあえず給料の高いところに就職しようと思って、学内の求人欄で一番給料の高い会社を探してた。その中に全国モーターボート競走会連合会というのがあって、当時(1965年)の平均初任給が2万円のところ、2万5千円くらいもらえたから試験受けて入れたって感じで、ホントお金の為だけに入ったようなもん。

この日のオススメ「牛すじの煮込み(税込748円)」。薄くスライスしてカリカリに焼いたバゲット付き。

サラリーマン

 上京してからずっと兄貴の家に居候で食費だけを入れればよかったんで、その間にせっせと冒険資金を貯めていた。当時、競走会連合会は選手養成のため全国の競走場を渡り歩いていた。ホテルに泊まるための宿泊代とかも支給されたんだけど、選手宿舎に泊まると飯付きで500円で済んだから、当然そっちに泊まってた。そうすると出張費がほとんど丸々残る。月に1回か2回の出張に行けば、その浮いた出張費を兄貴の家に入れる食費に当てたので、給料丸々が貯金できた。だから4年くらいで100万円貯めた。だから山仲間たちも同じように貯めてれば、そこそこの遠征費になったんだけど、やっぱりみんな社会人になれば、それぞれ事情があってそこまで貯められなかった。俺は目標額にいったけど、みんなはダメそうだし「これりぁいつになったらみんなでヒマラヤ行けるかわからんなぁ」と目標が無くなっちゃった。で、一生こうしてモーターボートの教官を続けていくのもどうなんだろうと思い始めて、だったらグズグズやるよりも一回思い切ってやめてみるか!ってことで4年で退職した。
 思い返すとサラリーマン生活は楽しかった。最初は監理課という所に配属されて教官として選手の登録とか試験とかをやってた。2年後には今度は全国に配布される連合会報って会報の編集をする部署に行って、そこではみんなに原稿書いてもらったり統計取ったりしてたんだけど、コラム欄は俺が書いてたの。その書いたものに「良かった」とか「いまいちだった」とか反応してもらうのは面白かった。この時に初めて物を書くことの楽しさを味わった。

ガーリックシュリンプ(税込1185円)。大ぶりのエビが4尾!

作詞家に

 会社を辞めて27才の時にブリタニカ(百科事典)の付録カセットを作る会社を立ち上げたばかりの人に「一緒にやらないか」と声をかけられOKした。その仕事が2年くらい続いた29才(1971年)の時に作曲家の遠藤実先生と偶然知り合った。
 実は一緒にやってる会社の仲間の一人がギターが好きで曲を作ってたの。で、その曲に詩をつけてくれないか、と言われて見様見真似で作ってみたらビクターマリオンの中山さんという人にレコードを出してあげると言われ、2枚リリースしたことがあった。そのことを遠藤先生に話すと興味を持って「それじゃそのレコード持ってウチに遊びに来いや」と言われたことがキッカケで出入りするようになった。今思うと遠藤先生はその時ちょうど社長を辞めたばかりで寂しかったのもあったのかもしれない(笑)
 そうこうしてたら、ブリタニカが全然売れなくなって会社も立ち行かなくなったから畳むことにしたの。その話を遠藤先生にしたら「もし会社畳むんなら俺の秘書になって作詞の勉強してみたらいいんじゃないの?俺の所には星野哲郎さん、西沢爽さん、石本美由起さんとか大巨匠の作品もいっぱいくるから、それを見ながら作詞家になる道を模索してみたらいいんじゃないの?」と声をかけてもらった。
 そこで一大決心して作詞家として独り立ちするために遠藤先生の秘書になった。遠藤先生の家に行った時にヒット曲って出せばすげぇ金になるんだって思ったから作詞家になって売れればデカイ家に住めるし、いい酒も好きなだけ飲めるし、大好きなゴルフも行けるしって、結構野心があって遠藤先生の秘書になったのが始まり。

グラスワインの白(530円)を2杯。

今回はこれまで。いかがだったでしょうか?第2回は『初ヒット曲が出るまで』です。お楽しみに!

*今はなくなってしまった東京剣稜会のこと
*いでの幼なじみが運営している北八ヶ岳にある山小屋 HP:http://www.kuroyurihyutte.com
*現 日本モーターボート競走会

今回のお店:寄港地